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東日本大震災から立ち直った被災マンションレポート!

東日本大震災で被災したマンションは、どれほどの被害や避難生活を経て、その後どのように復旧したのでしょうか。その活動にこそ、首都直下地震などが予測されるマンションに住む私たちにとって、本当に必要な地震対策を知ることができるはずです。
そんな私たちの考えにご理解をいただき、取材にご協力いただけるマンションがありました。仙台市若林区にある、「サンライズマンション大和」です。今回は、マンションの被災時から復旧に至るまで、中心となって活動された理事の皆さんに、被災直後の状況や対応、復旧までに至る経緯、そしてマンションに住むうえで、大切なことをお話ししていただきました。

※本記事は2013年に取材・制作したものです。

(取材にご協力いただいたマンションのご紹介)
宮城県仙台市 サンライズマンション大和
14階建て142戸(1986年築)
東日本大震災によって、通路の壁亀裂、躯体の一部損傷などの被害を受けたものの、理事会・管理会社・工事関係会社が一丸となって復旧計画に取り組み、早期修復工事を完了。強度の高いマンションとして生まれ変わりました。


被害状況:厄介なのは飛散したガラスと倒壊した家具

編集部:今回は取材にご協力いただき、ありがとうございます。さっそくですが、3月11日のことをお聞かせください。その時間、皆さんマンションにいらっしゃたのでしょうか?
 
国枝副理事長:その日は家にいたんだけれど、「ドーン」と大きな地震が一回起こったというよりも、何度も起こってどんどん大きくなっていったというかね。

貴重なお話をしてくださった理事の皆様。左から国枝副理事長、梅木理事長、高松理事


梅木理事長:1回、2回、3回ぐらい来たかな。一旦静まったと思ったら、2回目がきて。終わったと思ったら、また3回目がきた。大きかった2回目が一番怖かった。
 
編集部:地震が起こった直後、住民の方はどんな様子でしたか? 
 
国枝副理事長:エレベーターが止まって、みんな、ほとんど表へ出てましたよ。
 
梅木理事長:私は外にいってたもんだから、そのまま避難所へ行って、2時間ほどしてマンションに帰ってきたんだけど、階段を上がってみたら、通路にコンクリート片がゴロゴロ転がっていて、そりゃあビックリしたよ。
住民さんの中には、100メートル位離れた場所にある町内会館へ行った人もいて、そのあたりにも50人ほど避難したかな。
 
高松理事:私は、もうあきらめて、どこで死ぬのも同じだと思って自分のマンションに戻ったんだけど、車の中に避難した人もいたね。
 
国枝副理事長:そうだね。私も車では3日間ぐらい過ごしたかな。雪は降っているし、部屋は寒いし。車の中だと暖房が使えるから。
 
高松理事:私は対流型の石油ストーブ(※)が買ってあったんだけど、それが思いがけず役に立ったね。ただ、そのストーブが置いてある部屋へたどり着くまでに2日ほどかかったんだけどね。

当時の被害を語ってくださった高松理事。


(※)マンションによっては、持込が禁止されている場合もありますので、読者の方がご使用される場合は、お住まいのマンションの管理規約などをご確認ください。
 
編集部:部屋へたどり着くまでに2日ですか?
 
高松理事:どこにストーブを置いてあるかはわかっていたんだけど、家具は倒れてるしガラス戸は割れて粉々になっていて、足の踏み場もないわけですよ。とても入れる状況じゃなかったんだよね。部屋を掃除するには、まずガラスを拾って集めて、電気がないからホウキで掃除して、それからタンスを起こして、落ちた物を揃えて、また細かいガラスを掃除する、その繰り返しだったね。台所なんかめちゃめちゃでねえ。陶器類は、ほぼ全滅だったね。
 
編集部:室内の地震対策というのは、以前からされていらっしゃいましたか?
 
梅木理事長:突っ張り棒で家具の固定をやっていたんだけれど、何の意味もなかったですよ。揺れた方向が悪くてね。

室内からみた壁のひび割れ。震災直後、あまりの衝撃で壁に穴があいてしまった。
衝撃の凄まじさがわかる。

高松理事:うちの場合は、家具の固定とかの地震対策をまったくしていなかったんですよ。だから「形」のあるものはみんな壊れてしまって。背の高い家具はバタバタ折り重なって倒れてしまったし、キッチンなんかでは、冷蔵庫は傾いてしまったしね。
 
梅木理事長:うちの買ったばかりの冷蔵庫は、壊れこそしなかったけど、倒れてもう寄っかかっているだけって感じだったよ。
 
編集部:お話をきいていると、特にキッチンが危ないようですね。
 
梅木理事長:あれ、あの食器棚の扉が地震で開かないようにする耐震ストッパーっていうのがあるでしょう? あれなんて、揺れが強いから全然効かなかった。外れちゃって、台所はめちゃめちゃだった。
 
編集部:防災グッズが対応できる揺れをはるかに超えていた、ということですね。室内に相当被害があったということは、共用部の被害も深刻だったのでは?
 
梅木理事長:通路の壁には大きな「×」形の亀裂が入ってね。柱とか躯体も一部が壊れてしまったし、高架水槽と受水槽にも穴が空いてしまってね。

通路側の壁のひび割れの様子(当時)。「×」形に亀裂が入っている。

高松理事:みんなほとんど同じところが壊れてしまったんだけど、とくに廊下に転がったコンクリートのかけらには驚いたね。玄関の横にあるガスメーターや配管のあたりも一番弱かったみたいで、みんな壊れてましたよ。余震で何が落ちてくるかわからないので、廊下を通るのも怖かったね。

通路の様子。コンクリート片も転がっていた場所もあった。

地震直後の対応①安否確認はホワイトボードで

編集部:地震直後、理事会や管理組合では、どのような対応をされたのでしょうか?
 
梅木理事長:それぞれバラバラだけど、役員さんが交代で一部屋に集まって、夜通しで何日か詰めていました。いつも明かりがついているだけで、どれだけ心の支えになったかわかりません。あと、一階にホワイトボードを用意して、安否確認をするたびに、何号室の誰はどこにいますというように書き込んでいったりね。
 
編集部:各戸の玄関に張り紙をするとか、そういうことはしなかったのでしょうか?
 
梅木理事長:まえは、「避難しました」と書いた紙を配布していたんだけど、ほとんど使われていなかったかんじゃないかなあ。だから一階のホワイトボードにぜんぶ書き出したんですよ。役員は、ヘルメットと腕章をつけて、マンションの中を回って被害のようすを確認していったかな。

地震直後の対応②みんなで手分けして水を運び、配る。

編集部:水はどのように調達されたのでしょう?
 
高松理事:マンションの貯水槽が壊れてしまったから、うちのマンションは水が出っ放しだったんですよ。だから水は豊富にありました。
 
梅木理事長:その水を、最初はタンクを背負って階段を上り下りしてね。若い人たちにも手伝ってもらって。何日かしてエレベーターが動くようになってからは、マンションのあちこちの部屋に水を配って歩きましたよ。
 
梅木理事長:女性、子ども、お年寄りのいるうちへ優先的に運ぶようにしてね。
 
編集部:水がなくて困るといえば、トイレもそうですよね。
 
国枝副理事長:そうですね。トイレは1階が使えたから、交代で使いました。室内のトイレは、配管が壊れていなかったから、水さえあれば使えるんだけど、上の貯水槽が壊れていたから水が流れないんですよ。だから、下から運んだ水で流すしかなかったんですね。

復旧に向けて 電気・ガス・水道。ライフライン復旧までの対策とは。

編集部:電気やガス、水道のライフラインが復旧するまで、どのくらいかかりましたか? 
 
梅木理事長:電気は15日、ガスが一番遅かったね。
 
高松理事:そうだね。
 
国枝副理事長:ガスは4月に起こった2回目の余震の時に復旧したから、1カ月以上だよ。
 
編集部:電気は一番復旧が早くて、ガスは一番遅いんですね。
 
高松理事:うん、ガスが一番遅かった。だから、対流型石油ストーブが本当に役に立ったね。あれを使って、みんなで調理したから。だから。家庭で備えておいた方がいいのは、上にヤカンや鍋を載せられるストーブが一台揃えてあればいいと思うね。
 
編集部:なるほど。ところで共用部分の復旧にはどのくらいかかりましたか? たとえばエレベーターの復旧などは?
 
高松理事:エレベーターは早くて、電気が復旧した15日に動きました。それでエレベーターを使って、1日がかりでみんなの部屋に水を配ったんですね。管理員さんに、優先して配る高齢者世帯の名簿を出してもらい、各戸をトントンとノックして「水を持ってきました」って言って回りましたね。

修復工事に3億円超えの見積もり

編集部:壊れた共有部分は、マンション全体として修繕積立金や補助金で修復する必要がありますよね? そのあたりのことを詳しくお聞かせいただけますか。
 
梅木理事長:震災の前から、もともと貯水槽は古くなっていたので交換する計画をたてていたんですよね。マンション全部の配管と浄化槽も一度にやることになっていたので、そのときはもう配管工事だけは終わっていて、残るは給水関係の工事だけだったんですよね。
 
国枝副理事長:工事自体は発注していたけれど、まだ始まっていなくてね。材料が搬入される頃に地震が来たので、結果的には1週間ほど工事がずれました。地震後にすぐ、貯水槽の修理にかかったんですが、地震の後2〜3日で工事会社の人が、どれ位の補修が必要か確認に来ました。そういった意味ではタイミングは良かったんですね。
 
編集部:修復が完了したのはいつ頃ですか?
 
高松理事: その年の12月です。
 
国枝副理事長:本格的に工事に入ったのがお盆過ぎ位からで、12月にはすべて完了してましたから、4カ月ぐらいですかね。
 
高松理事:うちのマンションは、このあたりで一番建物の復旧が早かったんですよ。
 
梅木理事長:とにかく「マンションを直して、明るいお正月を家で迎えましょう」と、工事会社にも年内に共用部分だけは何とか直してくれとお願いしてね。
 
編集部:修復が決まったとしても、見積金額やその捻出方法について合意形成を得るのは難しくはなかったですか?
 
国枝副理事長:それは難しかったですよ。
 
梅木理事長:総会の時に、当初3億円超という見積もり金額を見て、「えー!」とみんなびっくりしたわけです。地震保険も当初は一部破損として5%しか下りないということでしたし、それは相当議論しましたよ。そこで工事会社に、もう一度精度の高い見積もりを依頼したら、かなりの減額になりましてね。要するに、最初概算の見積でみていた修復箇所が10箇所あったのが、最終的には5箇所でよかったとか、この部分は後回しにしようだとか、いろいろと精査した訳です。そういったことで、最終的に当初の見積もりより3分の1ぐらい低くなったというわけです。

国枝副理事長:最初は、おおざっぱな見積もりをした訳ですね。それを再見積もりのときは、一戸一戸訪問して、全部を検討しなおしました。そうしてみると、14階建てのうち、損傷がひどいのは4〜7階で、さらにいえば10階から上には異常がなかったんです。それで随分予算が圧縮されました。
 
梅木理事長:地震保険も大きかったね。
 
国枝副理事長:このマンションは地震保険に入っていまして、一部破損だった箇所には鉄骨が露出していたこともあって、最終的には半壊認定となって保険がおりました。
 
編集部:なるほど。じゃあ保険金額も大きかったですね。
 
梅木理事長:一部破損なら5%、半壊は50%ですから。全然違います。
 
国枝副理事長:地震保険の認定を受ける確認をしてもらうとき、すでに貯水槽の工事が入っていたので、コンクリートが落下しないようにブルーシートを張っていたんです。そのままの時は一部破損認定。もう一度見てもらおうと、ブルーシートを切って中を見せたら、鉄骨が出ているから半壊ということになりました。
 
梅木理事長:そもそも修復するにあたって総会でもめたのが、地震保険が5%しか出ないから、お金を借りようという理由だったんですよ。
 
編集部:なるほど。
 
梅木理事長:地震保険が出ることになって初めて丸く収まったんです。でなければ、いまだにうちのマンションも修復工事ができていたかはわかりません。
 
編集部:実際、まだ修復工事に着手できていないマンションもあるんでしょうか?
 
梅木理事長:ええ、まわりを見ると結構ありまよ。うちのように地震保険に入っていなかったマンションは大変でしょう。
 
編集部:地震保険というのは、マンション一括で加入する地震保険ですか?
 
高松理事:そうです。
 
梅木理事長:昔、私が最初の理事をやっていた時は、共有部分だけ加入していたんです。その後の理事の時に、専有部分も含めたマンション全体の地震保険に変えました。
 
国枝副理事長:いま加入して4年目だったかな。
 
編集部:地震保険に入ってないマンションも多かったんでしょうね。躯体がしっかりしていればマンション自体が倒れる被害はないにしても、やはり共有部分だけではなくて、専有部分も地震保険に入っておくのが大事ですね。
 
梅木理事長:そうです。保険料は高いですけど。あるマンションでは、地震保険に入っていたのに、契約期間が足りずに保険が適用されなかったという話もあったそうです。もっと早く入っておけばよかったと。
 
編集部:やはり、備えあれば憂いなし、ということですね。

迅速な復旧を可能にした「コミュニティ力」

編集部:ところで今回の地震、そして修復に向けて、普段からのご近所付き合いが役に立った、と感じる部分はありましたか?
 
梅木理事長:もう住んで26年にもなるから、いろんな人がお互いに見知っているじゃないですか。意外と、顔見て声かけて「手伝ってくれ」って言ったら、みんなパーッと手伝ってくれましたね。
 
編集部:それはいいですね。皆さん同じマンションにお住まいだから、やはり同じ状況で被災しているという気持ちがあって助け合えたんでしょうね。
 
国枝副理事長:そうですね。
 
梅木理事長:そう、そういう面では非常に良かったよね。若い人も高校生の子どもも、声をかけたら手伝ってくれたからね。
 
編集部:みんなで協力し合えたから、頑張れたと。
 
梅木理事長:うちのマンションの場合は、みんな仲が良かったからつながりがあってよかったと思いますよ。意外に、住人同士のコミュニケーションがある方だったみたいです。
 
編集部:結局、いざという時は助け合いですね。
 
梅木理事長:前の理事長さんにしても、みんな住民第一で考えてくれていました。多少の強引さはあっても、みんなのためにやってくれたことがわかったから、みんなもそれに応えたということかなと。被災当時も、理事長や役員さんたちが率先して、朝から晩までみんなの注文を取りに行って帰ってきていました。必ず誰かがいてくれたし、役員の人たちは非常によくやってくれましたよ。何かあっても、あの人に言えばいいなという目に見える安心感がありました。
 
編集部:理事会の人たちがいつもそこにいてくれる、と感じるだけでも心細さが違いますよね。

当時の理事会の人たちの素晴らしさを語る梅木理事長

梅木理事長:一番すごいなと思ったのは、破裂した屋上貯水槽を直すお金を、何人かの住民の善意で出してくださったことです。仙台市から個人への補助金は、個人だけでなくてもマンション全体にも使えるんですが、手続きは面倒なんですよ。なのに、比較的被害の少なかった10階から上の部屋の人たちが、自分たち個人に出た補助金を、マンションの貯水槽の修繕費用に善意で供出してくれたんです。
 
編集部:それは凄いことですね!
 
梅木理事長:我々の家の状態はひどかったから、そんな余裕はありませんでしたが。そういう、すごくいい居住者が多いというか。おかげで結構なお金が集まりました。
 
高松理事:あれはびっくりしたね。あんなに出してくれるとは思わなかったね。感謝だよ。
 
編集部:嬉しいお話ですね。
 
梅木理事長:こういう被害に遭ったとしても、やっぱり今まで役員の人もちゃんとやることをやってきて、まわりの居住者もお互いに助け合って、いいコミュニティが出来上がっていたし、地震という体験を共有して、さらに結束した気がしますね。
 
編集部:こちらのマンションはみなさんずっと最初からお住まいの方が多いんですか?
 
梅木理事長:結構出入りも多いんだけども、ずっと住んでいる人は長くて、意外と定着率はいいかもわからんですね。同じ階の人はみんな顔も分かるし、名前もみんな分かるものね。家族構成も大体ほら、常にあいさつはしているというか、そういうのはあります。
 
高松理事:昔の言葉じゃないけど、「向こう三軒両隣」ですよ。いざという時にやっぱり手を貸してくれるから。
 
編集部:やはり普段からのご近所づきあいは、本当に大切なものなのですね。

被災経験からのアドバイス「家具は一式、徹底的に壁に固定して!」

編集部:最後に、近い将来、大きな地震が来ると予測されている、主に首都圏のマンション住民の方に対して、個人、もしくは管理組合として、これだけは「今、やっておくべきだ」というアドバイスがあれば、教えていただけますか?
 
梅木理事長:やっぱり自宅の耐震対策だね。タンス、電化製品、食器棚、家財道具すべてを地震で飛ばされないように固定しておくこと。それが一番ですよ。家具はきちっと金具付けて壁に留めておくんです。
 
高松理事:家具が倒れないだけでも、家の中の被害の度合いが違いますから。私の部屋の本棚は、天井まで空箱を詰めておけば動かないでいいからと、積み上げていたんですが、全然駄目。やっぱり直付けの金具できっちり固定する。それが嫌だったら、家具は低くする。低ければ、手前に動くだけだからね。
 
梅木理事長:今回、1回目の地震発生から1カ月足らずのうちに、2回目に大きい地震が起きたでしょう。うちはそれですっかりやられました。1回目に、食器やガラス類が半分壊れて、すべて直して、ほっとした時にやってきた。もういやになるよね。
 
高松理事:2回目は夜だったね。
 
梅木理事長:すでに部屋はガチャガチャになっていたから構わないんだけど、朝起きたらすごかった。みんな壊れているんだ。
 
国枝前副理事:家具が壊れると、すべて廃材になってしまうから、片付けも時間がかかって大変だし、その間は自宅にいられないこともありますからね。あと、自分だけじゃなく、ほかの家も廃材が出ればあっという間にマンションの敷地は瓦礫の山になって、またその処分に時間がかかるから、いいことは何もないよね。だから、できればマンションで徹底した方がいいと思いますよ。

室内からでた不用品やガレキ処理も大変だったと語る国枝副理事長

高松理事:「物を置くときは低く」を徹底する。人間が寝ている場所は絶対に低い家具だけ。高い物は置かない方がいい。
あとは住民の名簿かな。
 
編集部:いまだに個人情報保護の問題で、なかなか名簿が作れないとお悩みのマンション多いようです。
 
梅木理事長:名簿がないと、地震が起こったら大変ですよ。安否確認も管理もできないですから。
 
編集部:今回はお忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。(完)
 

取材を終えて

これまでマンションは地震に強く、被害が出ても生活ができないレベルではないと考えていました。しかし、今回の取材を経て、その考えが甘かったことを痛感させられました。耐震性や地震対策は、年々向上しているとは思うものの、あれほどの大きな地震が起きた場合、私たちの想像を超える被害が発生する可能性があるということを、十分認識しておくことが大切だと思います。
そして、何よりも、その被害を想定したできる限りの対策、サンライズマンション大和の方が経験されたなかでお話しいただいた、「家具の固定」「地震保険への加入の検討」「ご近所づきあいの活性化」といったことは、できるかぎり実践していくことが望ましいと感じました。
今回の記事をご覧いただいた皆さんが、これまで以上に地震に備えようという気持ちになっていただけたなら幸いです。

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